この章では人間が入れ墨を始めてのはいつなのか?
何のために入れ墨を始めたのか?
入れ墨は他人との差別化なのか、それとも仲間を特定する為なのか、そして、その理由は?
古代から伝わるボディファッションの原型は何なのかに迫ります
何のために入れ墨を始めたのか?
入れ墨は他人との差別化なのか、それとも仲間を特定する為なのか、そして、その理由は?
古代から伝わるボディファッションの原型は何なのかに迫ります
後編パート2では人は何故入れ墨を入れるのかに言及

- 10,000年以上も前の旧石器時代の遺跡から、人骨と共に入れ墨に使用されただろうと思われるカラーインクが入った皿と先の尖った棒が発掘されています
- 考古学者たちは、この頃から入れ墨の習慣があったのではと考えますが想像の域を超えていません

- 日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が発掘されています
- 縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録されている世界最古のものではないかと想像されています
- また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと思われます

- エジプトで発見された土器に入れ墨が認められています。土器に女性を模した「点」、「線」、「菱形」模様が施されており、後に発見されたミイラに見られる入れ墨模様のパターンと符合します

- 1991年にオーストリア国境近くのイタリア・アルプスで5,300年近くも氷河に閉じ込められた遺体が発見される。私たちがその理由を知ることは出来ませんが、彼の体には無数の入れ墨が施されていました
- タトゥーシールの糊専用版下はデザイン部分より0.5mm程度外側までだけをカバーします
- だから、デザイン部分以外には糊は載りません
- しかも、水転写で肌に貼付した時に糊部分は透明になります

- Amunetと名付けられた女性のミイラが1891年が発掘され、彼女の体にはいくつかの入れ墨パターンが確認されました
- 腕と太ももには平行な線パターン、そしてお臍の周りには楕円形の沢山の入れ墨が施されていました
- 考古学者はこれらの入れ墨が生殖とセクシーさを魅せる為のものであったのではないかと考えられています

- エジプト期の絵画や彫刻像から言葉や絵を体に彫っていたものと考えられています
- また、同時代の女性のミイラからも同じパターンの入れ墨が施されていたことが報告されています

- リビアで発見されたこの時代のミイラから神や女神の入れ墨が発見されています
- タトゥーとして彫られた神々は戦争の神や太陽の神、また、酒宴の神と言われています

- この時代のポリネシアン遺跡から入れ墨に使用された道具類が発掘されています
- ポリネシアでの入れ墨の歴史はもっと古いのですが、入れ墨用の道具発見は今回が初めてとされています
- 現在、これらの道具に大変似かよった入れ墨道具をサモア地方の入れ墨職人が使用しています

- ロシア人考古学者Sergei Rudenkoは保存状態の大変良い"Pazyryksと呼ばれる石器時代部族の男女のミイラを発見しました
- 男の体にはロバ、鹿、やぎなどの動物の入れ墨があり、女性には神秘的な動物たちが入れ墨されていました

- ギリシャの哲学者プラトーは罪を犯した人間は入れ墨をしてコミュニティから追放すべきだと説いた
- 善人と悪人を目視で区別できる様にした

- ローマ皇帝Caliguraは彼の妻を娼婦にしたり、裁判官に入れ墨などをして楽しんだと言われています

- ローマ教皇Hadrianは入れ墨が大変野蛮であるとの理由から、カソリック教の世界では入れ墨を禁止した

- William率いる入れ墨嫌いのノルマン民族はイベリア民族が確立したイギリスを征服する行動に出た
- アングロサクソンの王様であったHarold IIは体の入れ墨から、この戦いでの死亡が確認された

- オランダ人船長がニューファンドランド港に到着した時、入れ墨をしたエスキモーに興味を覚えた
- 彼はその異様な入れ墨を利用して商売をすることが出来ると考え、若い女性一人と子供一人をオランダまで連れて帰り、見世物として商売をはじめた

- イギリスの芸術家で冒険家であったJohn WhiteはSir, Walter Raleighと共にアメリカ大陸に行ったときに出会った原住民が入れていた入れ墨を沢山写生して帰った
- また、数年後、Pocahontasの父、Powhatanに捕獲されたJohn Smith船長も新世界で出会った人たちの入れ墨について記述している

- 沢山の入れ墨をされたフィリピン人奴隷Jeolyは「ペイントされた王子、Giolo」と名づけられて西洋の入れ墨文化の再発見としてロンドンで展示された
- 彼は水疱瘡により、まもなく死ぬが「ペイントされた王子」はボディアートを見せることでお金を得た初めての人物として記憶に残されている
- ただ、Jeoly自身が進んで見世物にされることを望んだものでなく、また、彼自身にお金が入ったとは考えられない

- James Cook船長と一緒に南太平洋を旅したJoseph Banksはポリネシアンタトゥーに興味を持ち、イギリスにその記述と自分自身の体に入れ墨を入れて持ち帰った

- Phineas T. BarnumはニューヨークにBarnum American Museumを設立して、最初に入れ墨をした人間とされるJames O'Conenelが展示された

- King Edward VII(Prince of Weles) はキリストの聖地イスラエルへ行った記念として彼の腕に十字架の入れ墨を入れた
- 入れ墨を好んだ彼は終生、彼の体に入れ墨を加え続けていった

- アメリカ南北戦争で入れ墨をした戦士として名を馳せたMartin Hildebrandtがニューヨーク市でアメリカ初のタトゥーパーラーを開店した
- 彼の女房、Noraは全身に365の入れ墨を入れていたと伝えられている

- 1,872年3月29日、明治政府は西欧人の文化を基準に外国人から野蛮と思われかねない伝統的な習慣・風俗を禁止しました
- 当時、入れ墨は庶民の間でも普及していましたが、民族問題としてアイヌ民族と沖縄琉球民族が固有の文化として持っていた入れ墨を規制する事で、アイヌも琉球民族も真の「日本人」の枠組みに取り込もうとしました

- 犯罪者とそうでない者を識別するために、イギリスで犯罪者に入れ墨を施すようになった
- これを契機に西洋での入れ墨文化が犯罪と無法者が同列で判断される傾向になる
- 入れ墨のアウトローイメージはここを基点に始まったと言えます

- ニューヨークでHildebrandtの商売敵であったSamuel O'Reillyがトーマスエジソンの電動式彫刻マシーンを模して創り上げた世界初の電気式入れ墨マシーンで特許を取得

- イギリス人の彫師George Burchettは入れ墨の見世物として有名であったGreat Omi氏の全身にシマウマ模様を施した

- Saturday Evening Post3月4日号にはNorman Rockwellが若い海兵隊員に入れ墨をしている模様がカバーストーリーになっている

- 彫師Lyle Tuttle氏がサンフランシスコにタトゥー博物館をオープン

- 世界初のタトゥーコンベンションが1月24-25日の2日間テキサス州ヒューストンで開催された

- Dr. Samuel Zukermanが映画業界のために化粧技法としてテンポラリータトゥーを開発
- この年に設立された「タトゥーの殿堂」にBetty Broadbent女史が初の殿堂入りをした

- いれずみ 【入れ墨・〈刺青〉・〈文身〉】
- (1)肌に針や刃物で傷をつけ、墨汁・朱・ベンガラ・緑青などの色素をすり込んで、文字・紋様・絵柄を描き出すこと。近世では、遊侠(ゆうきよう)の徒の間で盛んに行われた
- 彫り物
- (2)昔の刑罰の一。顔や腕に束ねた針で墨を刺し入れて前科者のしるしとした。江戸時代には、江戸追放などの付加刑として行われた
- 黥(げい)
- Goo辞書から





































